後冷泉天皇関連エントリー

黄金楽土-其之四

... 追討軍の京洛進発後,或いは奥州到着後と思われるが,時の関白頼通の妹(つまり道長娘)なして一条天皇の中宮にして後冷泉天皇生母である上東門院彰子が発病したのである。 病気平癒の祈祷が行われると共に,大赦が発せられたのである。 ...

黄金楽土-其之四

五条坂

... 平安時代の天喜元年(1053)に、後冷泉天皇の勅願により源頼義が六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが当社の始まりと伝えられ、当初は六條八幡、佐女牛八幡とも呼ばれた。 ...

五条坂

秋の句と歌

... もともとは、後冷泉天皇が開いた内裏歌合せの中で、藤原祐家の「散りまがふ 嵐の山のもみぢ葉は ふもとの里の秋にざりける」という歌と競って勝った歌です。 標高82mの三室山の「みむろ」は「御室」「三室」と書き、神の鎮座する山や森を表します。 ...

秋の句と歌

信濃紀行2008 その2 仁科神明宮

... 平安時代、後冷泉天皇のころ、皇大神宮御領であった仁科御厨の地に勧請されて創建されたといい、古族仁科氏が神事を司ったという。 仁科氏の氏神でもある。この仁科氏は天正10年(1582)、武田氏により滅ぼされ、江戸時代には ...

信濃紀行2008 その2 仁科神明宮

文藝散歩 「大鏡」 武田友宏編 角川ソフィア文庫

... 妍子(母倫子)が三条中宮 三条后 一品の宮禎子の母、 威子(母倫子)は後一条中宮、嬉子(母倫子)は後朱雀女御 後冷泉天皇の母となった。亦別腹の娘寛子(母明子)は小一条院女御となってあがった。このように道長の閨閥は蜘蛛の巣のように張り巡らさ ...

文藝散歩 「大鏡」 武田友宏編 角川ソフィア文庫

後冷泉天皇とは?

後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう、万寿2年8月3日 (旧暦) 8月3日(1025年8月28日) - 治暦4年4月19日 (旧暦) 4月19日(1068年5月22日))は、日本の70代天皇(在位:1045年 - 1068年)。父後朱雀天皇。母藤原道長女藤原嬉子。名を親仁(ちかひと)という。紫式部の娘大弐三位が乳母である。
万寿2年(1025年)8月3日誕生、2日後に生母の東宮妃嬉子が急死。長元9年(1036年)2月22日、親王宣下。長暦元年(1037年)7月2日元服、三品に叙される。同年8月17日、皇太子に。寛徳2年(1045年)4月8日即位。治暦4年(1068年)4月19日、在位のまま崩御。享年44。
藤原頼通の娘藤原寛子 寛子を皇后としたが、皇子が生まれないまま後冷泉天皇は亡くなった。そのため、死後は異母弟で藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位することになる。

後冷泉天皇の詳細