4月19日の情報が詳しい!4月19日といえば?
... 追討軍の京洛進発後,或いは奥州到着後と思われるが,時の関白頼通の妹(つまり道長娘)なして一条天皇の中宮にして後冷泉天皇生母である上東門院彰子が発病したのである。 病気平癒の祈祷が行われると共に,大赦が発せられたのである。 ...
... 平安時代の天喜元年(1053)に、後冷泉天皇の勅願により源頼義が六条醒ヶ井(現在の西本願寺の北東辺り)に創建したのが当社の始まりと伝えられ、当初は六條八幡、佐女牛八幡とも呼ばれた。 ...
... もともとは、後冷泉天皇が開いた内裏歌合せの中で、藤原祐家の「散りまがふ 嵐の山のもみぢ葉は ふもとの里の秋にざりける」という歌と競って勝った歌です。 標高82mの三室山の「みむろ」は「御室」「三室」と書き、神の鎮座する山や森を表します。 ...
... 平安時代、後冷泉天皇のころ、皇大神宮御領であった仁科御厨の地に勧請されて創建されたといい、古族仁科氏が神事を司ったという。 仁科氏の氏神でもある。この仁科氏は天正10年(1582)、武田氏により滅ぼされ、江戸時代には ...
... 妍子(母倫子)が三条中宮 三条后 一品の宮禎子の母、 威子(母倫子)は後一条中宮、嬉子(母倫子)は後朱雀女御 後冷泉天皇の母となった。亦別腹の娘寛子(母明子)は小一条院女御となってあがった。このように道長の閨閥は蜘蛛の巣のように張り巡らさ ...